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霊的視点で見た「人生とは・・」

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自分は非力である、本当にそう思う。
霊的に目覚めてから7年が過ぎた。

目覚めてからメチャクチャ本を読んだ。
300冊以上は購入したと思う。

多くの霊能者の方ともお会いした。
背後霊の言葉に関して、同じことを言った霊能者の方が2人だけいた。

いま読んでいるのは近藤千雄氏訳のシルバーバーチの本だけである。
どんなに日常で世俗にまみれても、夜シルバーバーチの本を開けば落ち着きを取り戻すことができる。

肉体という身体を持ちながら、霊的に生きることは大変なことであると思う。
以前は、なぜこんなに大変なことを自分がしなければならないのか、とよく自問自答したものである。

いまは、自分がやりたいことと自分の前に置かれることは違うということがわかるが、以前はよく分からなかった。
だからヒーリングが使命だと思ってやったこともあるが、いまはやっていない。
なぜやっていないかというと、最優先でしなければいけないことがあることに気づいたからである。

それをやらなければ、人生が良くならないということに気づいたのである。
人生というのは、私と私の環境の両方の人生である。

環境というのは、家族、兄弟姉妹、両親、仕事、ご近所などの周りの縁ある人たちのことである。
なぜならば自分の幸せは、その人たちの幸せなしには考えられないからである。

どんなに仕事で成功したとしても、例えばもし家族に不幸があったら全てが吹き飛んでしまうだろう。
私は嫌だ。そんなのは絶対に嫌である。
自分がやりたいことではなく、目の前に置かれたことに最善を尽くす、そう決めた動機は、自分が霊性を向上させなければ、自分の環境にいる人たちの人生が良くならない、そう思ったからである。

自分の霊性を向上させるのも下降させるのも全ては自分次第であるが、自分だけではなく周りの環境も自分が創っている、そう思ったからである。
人間は自分のためではなく、誰かのためであればより力が発揮される。

これは肉体的な話ではなく、霊的な話である。
自分という人間が与えている影響は、肉体のある霊だけではなく、肉体を持たない霊にも及んでいるということである。

シルバーバーチは、何かの折りに「この狭い会場に五千人の霊が来ております」と言っていたが、私たち人間と霊とが影響を与えあっているのは間違いない。
ならば尚更のこと、たった一人が霊性を向上させていくことにより、もしかしたら数千の霊がその良い影響を受ける可能性がある、と言えるのではないだろうか。

霊界に行ってすぐに霊性が向上するわけがない、と私は思っている。
地上で何も学ばずに霊界に行った霊が、地上に近い霊界で苦しんでいる。
死んだことに気づかず、気づいたとしても死後の世界をどう生きて行ったら良いのかわからずに悶々とした日々を送っている。

もし地上の一人が霊的に目覚めて、霊性を向上させるという日々を送ることができたならば、周りの人間だけではなく、自分と縁のある多くの霊を救うことができるかもしれない。
たった一人の霊性の向上が、多くの霊を救うことになる。

人間は不完全極まりない。
私は時折肉体的な自分が頭を持ち上げる時がある。

私という魂が、肉体的な自分を意識する時である。
霊が勝つか、肉体が勝つか、葛藤である。

葛藤は相撲に似ていると思う。
何も知らなければ、ほとんど肉体が霊を押し出しているのではないだろうか。
しかし、葛藤することに気がついてくると、だんだんと大相撲になることが多くなる。
肉体にかなり押されていても、土俵際でうっちゃりで霊が勝つことも多くなってくる。

霊が肉体に負けないためには、やはり高い意識と強い意志を育てなければならない。
この二つのことを精神という。

シルバーバーチが言うように、霊性の向上は肉体的→精神的→霊的 という順序で歩を進めていくのであり、いきなり肉体的→霊的に向上することはない。


人間に霊能力が現れるのは、人間の本質は肉体ではなく霊である、ということを教えるためである。
ところが人間は霊能力が現れるとすぐに使いたがるが、高い霊界の霊達はそれを危惧している。

霊能力は名の通り、霊界の霊がいるから使える能力の一つである。
大事なのは、霊能者の霊性以上の霊とは近づきになれない、ということである。

多くの霊能者は霊性の向上ではなく、霊能力を使うことに力を注いでいる。
霊能力を使うということは霊能者がやりたいことであり、目の前に置かれたことではない。

目に前におかれたのは、霊能力を使わずに霊性を向上させるという、とてつもなく辛く苦しい修行である。
だからそこから逃げる霊能者が多い。
これはまことに残念なことである。

逃げれば霊性の向上はなおざりになる。
だから何年経っても同じところをグルグルと回っていることになる。

そんなつまらないことが人間の使命であるはずがない。
人間の使命とは、もっと厳しくて辛いものであり、それによって周りの人間だけではなく、多くの霊も救われなければならない、大事業のはずである。

霊性の向上は、誰にも公にせず、ただひたすら自分に課して日常で実践していくという、誠に地味なあまりにも目立たないものである。
目立たず、名声も、地位も、肩書きも、名誉も、もちろん組織もない。
たった1人で行う大事業である、だから苦しいのである。辛いのである。

この苦しい、辛い体験を経て、初めて人間は霊性が向上するのである。
霊性が向上すれば、自分が未熟であり不完全である、ということに更に気づくことになる。

だから更に霊性を向上させようと努力するようになるのである。
努力が苦にならなくなってくるのである。

霊性が向上してくれば、自分の霊性が自分と自分の環境を創っているということに気がつくようになる。
霊力は霊性のあり方に従って顕れているだけであるということに気づくようになる。

ますます「霊性の向上こそが人間の使命である」と思うようになってくるのである。

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