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霊的視点で見る「幸せとは何か」

ヴィーガン玄米コーヒーとシルバーバーチの本DSC_0364.JPG


それは平常 何を意識しているかによって一人一人違う。

肉体に意識があれば、肉体的な満足の時に幸せと感じるはずである。
魂や霊に意識があれば、高みを目標にして向上を目指す自分に幸せを感じるはずである。

自分が何を意識して生きているかを何も意識しなければ、人間は肉体的な欲に動かされることが多い。
そして肉体的な満足の時を幸せと感じていることが多いはずである。

魂が打たれて磨かれてくれば、意識は変わって来る。
そのためには楽を選ばずに苦を選ぶことである。
人生は選択の連続である。
苦楽のどちらを選ぶのかによって、魂のあり方が変わる。

マザーテレサは「常に難しい方を選びなさい」と言っている。
シルバーバーチは「地上的視点と霊的視点では物の見方が180度違います」と言っている。

地上で生きていると、どうしても楽な方を選んでしまいがちである。
その楽な方は、霊的視点で見て、霊的摂理に反していることが多いというわけである。

なぜかというと、楽な方はまったく魂の出番がなく、ほぼ肉体的な自分だけで事足りるからである。
ところが難しい方というのは、辛苦が伴うものである。

この苦しみや辛さが魂を精錬し純金へと磨いていくのである。
魂が磨かれなければ意識は向上しない。

魂が磨かれるためには、「常に難しい方を選ぶ。苦しく辛い方を選ぶ」ということが不可欠である。
困難、辛苦、病気、悲しみ、危機的な状況というのは、まさに魂の試練のために置かれるものである。

偶然は一つもない。
そして克服できない困難、辛苦、病気、悲しみ、危機的な状況というものもない。

もし霊的な幸せを願うならば、楽な方を選ぶことなく、困難、辛苦な方を選択してほしいと思う。
シルバーバーチがいう最善を尽くす人生とは、置かれたものから逃げることなく困難な方を選択し続ける人生を言っているのである。

人間は霊であり、そして魂なのである。
魂が磨かれなければ、霊は奥に引っ込んだままである。

それではいくら待っても霊性は発現しない。
霊性が発現するためには、困難、辛苦に飛び込んで、相撲で言えばがっぷり四つになって取り組むことである。
人生はその連続であると言える。

シルバーバーチは地上への任務を依頼された。
シルバーバーチは「地上のような荒廃した汚れた環境には行きたくない」とハッキリと言っている。
それでも地球に来ることを選択したのは、彼の自由意志が難しい方、困難で苦しく辛い方を選んだからである。

このように霊性が高くなればなるほど、困難・苦難から逃げることなくチャレンジするようになる。
なぜならば困難・苦難は、霊性が発現・向上する千載一遇のチャンスと捉えられるようになるからである。

翻って、私たちはどうだろうか。
困難、苦難、病気、悲しみ、危機的な状況が目の前に置かれたら、それから逃げずに選択することができているだろうか。

これは自分の自由意志を自由に出来るかどうかの自由度の問題である。
多くの方は自分の自由意志が自由にならずに肉体に引っ張られていないだろうか。

シルバーバーチは「霊性が向上すればするほど自由意志の範囲は広がります」と言っている。
肉体に気持ちが引きづられるのは、自由意志の範囲が狭いからである。
それはほとんど自由意志が機能していない状態なのである。

肉体の満足は瞬時の出来事で終わる。
そして継続性もない。
だから、「幸せとは何か」といつも悶々としてしまうのである。

真の幸せとは、霊と魂にしかない。
魂が幸せを感じるのは、目の前に置かれた困難、苦難から逃げずに挑戦している時ではないだろうか。

闇を抜ければ光がある。
困難・苦難の先にあるのは、霊性の発現・向上である。

だが、霊性が発現・向上したからと言って、慢心してはいけない。
人生はその繰り返しなのである。
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