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まだ多くの人は「自分が霊である」という霊性に気づいていません [人間、生命、霊、摂理]

多くの人は、「自分が霊である」ということに気づいていません。
気づいているのは、本当にごくごく一部の人だけです。

霊は身体に勝ります。
霊が先です。

肉体という身体に現れるのは、霊的摂理に対する結果としての現象に過ぎません。
自分の環境(家族、仕事、住まい、など)も同様に、結果としての現象に過ぎません。

現象は結果であり、原因は見えないところにあります。
これは非常に重要なポイントです。


人間は霊ですから、必ずいつかは「自分が霊である」ということに気づく日が来ます。
それがいつになるのかは一人一人違いますし、わかりません。

「自分が霊である」ということに気づくことを、霊性が発現するとか、霊性に目覚める、と言います。
霊という言い方が嫌ならば、イノチといっても構いません。 生命といっても構いません。

これは言葉の問題です。
私たちは不自由ですが、限られた言語で表現するしかありません。

霊もイノチも生命も同じものを指しています。
霊とは、生命の本質的な根源的な「何か」です。

霊は物質ではありませんから見つかりません。 科学では証明できません。
離合集散をしながら、身体を着替えながら進化をしていきます。

霊がどういう方法で離合集散を繰り返していくのかは良くわかりません。
霊というのは、例えてみれば海水のようなものである、ということができます。

極小では一滴の水になり、極大では地上の全海水になり、蒸発すれば天にも昇ります。
津波や豪雨などのように大きなエネルギーにもなります。

生命は一つであり、エネルギーである、という所以です。

そして霊は永遠のイノチなのです。霊に死はありません。 霊は無始無終なのです。
それが生命、霊という見えないものの正体です。

地上の生きている身体には必ず霊が宿っています。
動物、鳥、魚、昆虫、植物・・すべてにイノチである霊は宿っているのです。

霊は身体を着て進化を繰り返します。 人間も同じです。
地上では肉体という身体を着て生活をします。 自分がどれくらい霊として生きてきているのかはわかりません。

シルバーバーチは、幾百万年と言っています。
自分という霊が何に宿ってきたかは、お母さんのお腹の中の赤ちゃんの姿形に現れているのではないか、私はそう思っています。

霊は人間として生まれることにより、初めて「自分である」という意識を持つことができます。
この意識とか意志のことを精神と呼んでいます。

精神とは自分をコントロールする魂の属性である、ということができます。
魂というのは、今生で与えられた自分という個性、自我ですが、霊の側面のような存在であるとお考えください。

魂はいわば精錬されていない鉄です。
打てば打つほど、磨けば磨くほど、強いハガネになっていきます。

その触媒となるのは、困難、障害、病気、離別、悲しみ、危機的状況などの苦難、辛苦です。 これらを経験することが、魂を磨くことになるのです。

こうして人間はようやく霊性に目覚める準備が整うのです。

人間が肉体という身体を着てこの世に誕生するのは、霊性に気づき、発現した霊性を向上させるという目的のためなのです。

ところが、生まれると自我が目覚めて、すっかりと本来の目的を忘れてしまいます。
そのために、争いが起こります。

霊性が発現し、向上させることに気づけば、争う必要がなくなりますので、戦争は起こりません。
霊性を向上させればさせるほど、宇宙を支配している「霊的な摂理」に従って生きるようになります。
それは、大きな霊力が働くことを体験するからです。

霊的な摂理に従って生きれば生きるほど、病気、悲しみ、困難、障害は消えていきます。 自分と自分の環境である家族や仕事から姿を消していくのです。

これを「幸せ」というのではないでしょうか。

そして、これらの霊的な宝、資産は死後も持っていくことができるのです。
殆どの人は、持っていくことができない資産のためにせっせと時間を浪費しています。

本当に大切なのは見えるモノではなく、見えないものの中にあるのです。

攻めてきたら守るために攻撃をします・・そのために憲法を改正する・・これは霊性の問題なのです。
こちらの霊性が向上すれば、責めてくることはなくなります。
それが霊的な摂理だからです。

これは個人でも同じです。
霊的な摂理に従って生きるようになれば、自分の周りから争いは消えていきます。 どんなにけんかっ早い人が相手でも、争いは起こりません。

人はこのような現象を奇跡のようだと言いますが、これは奇跡ではありません。
それが宇宙を支配する、宇宙の根源である霊に働いている「霊的な摂理」だからです。

いまの日本はこのまま放っておくと、危機的な状況になる怖れがあります。 
それは肉体というモノばかりを大切にして、人間の本質・本体である精神、霊をなおざりにしているためです。 

怖れをなくすためには、一人一人が霊性に気づいて、霊性を向上させるという本来の目的に目覚めるしかありません。
遠回りに見えますが、これが一番の近道であると私は思っています。

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