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人間とは何か〜心とは何か?〜 [11月の記事]

心で思うことを「思念」と言います。

地上では人間は年がら年中、寝ている時以外は、何かを思念しています。
思念をする心というのは、一体どこにあるのでしょうか?

人間の頭脳は思念を肉体に伝達する場所であり、思念を製造しているわけではありません。
肉体は自分を表現するために地上で与えられたものです。

頭脳の一部が壊れると、今までできていた伝達ができなくなります。
それが「病気、不自由」となって肉体に現れてくるのです。

霊の属性である精神は、意識や意志で心をコントロールする制御装置です。
精神が発達してくると、心は右往左往しなくなってきます。

それでも肉体が若ければ、心は肉体に引きずられて制御できなくなることもあります。
肉体を精神で抑えるのは難しい、とお感じになったことはありませんか?

私たちは肉体という身体を持ち、霊体という身体を持ち、霊の断片である魂という個を持ち、霊の属性である精神を持っている霊です。
心はこれらの全てを包括しているものであり、霊と同じくどこそこにあるというものではありません。

自分である分霊というのは、まだまだ原石なのです。
この原石が光り輝くダイヤモンドになるためには、進化していく必要があります。

生命の根源である霊は、進化することを旨としているのです。
霊がその一片の個という魂として生まれてくるのは、地上でさまざまな体験を通して、霊的に成長するためなのです。

心と精神は、霊の進化向上ために人間に与えられたものであると思います。
精神はどんなに発達しても、右左に行く心を制御することはできないのではないでしょうか。

心を制御できるのはただ一つ、「霊性」だけです。
「霊性」の発現と向上だけが、心を制御できるのです。

マザーテレサの「思念に気をつけなさい。それはあなたの運命を左右するから」という有名な言葉があります。

死後に行く霊界は「思念の世界」です。
地上と違って、思念を隠すことができないのです。

これは人間にとってはとても辛いことです。
もし今仮にあなたの思念していることが全部表に出てしまったら、あなたは赤面の思いではないでしょうか。

実は、地上の人間は、「思念はわからない」とタカをくくっていますが、とんでもありません。
人間には、思念も含めて、すべてのことに「霊的な摂理」が働いているのです。

誰も見ていないから、とか、法律で罰せられないから、というのは肉体的、地上的視点での見方です。
霊的視点で見ると、うそ、ごまかし、かくしごと、をしないように正直に生きるというのが正しい生き方なのです。

人間は霊なのです。以前から、そして今も、これからもずっと霊なのです。
霊は霊的摂理に合わさるようにできているのです。

そう生きることにより、初めて恐れ、心配、不安、取り越し苦労をしないようになるのです。
肉体が自分であると思っている限り、これらは消えません。

だからといって、肉体を粗末にしろといっているのではありません。
無理をせず、適度な運動は大切です。

人間は地上に執着しすぎています。
ほとんどの方が、出来るだけ長生きしたい、また地上に生まれ変わってきたい、そう思っています。

霊性が発現して、霊性が向上するに従い、その思いは消えてくると思います。
地上が絶対ではなくなってきて、もっと霊性を向上させて地上での寿命を全うしたい、そう思うようになってくると思います。

いつも同じことに帰着してしまいますが、私たちはどんなときにも霊性を向上させるという使命を忘れてはならない、ということだと思います。

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