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(霊的視点)生命は、虫までもが一つにつながっている!!

ヴィーガン映画シックスセンスDSC_0377.JPG
ブルース・ウィリス主演の映画「シックス・センス」物質的視点からではあるが、死がよく描けている作品である。ジャンルはサスペンス・スリラーやホラーに位置づけられている。



私は生命は一つであると思っている。
本当にそう思っている。

ただ、虫に愛を感じるまでには時間がかかった。
しかし、いまは虫にも愛を感じることができるようになってきた。

子供の頃はよく虫で遊んだものだ。
夏休みにトンボに糸をつけて飛ばしたり、セミやクワガタムシなどをよく捕まえていた。
海で魚を釣っては喜んでいた時期もある。

動物も鳥も魚も虫も、生き物であることはわかっていても、彼らを殺生することが悪いとは全く思っていなかったのである。
しかし今はわかる。
生命は虫までもが一つにつながっていて、自分が創った原因が結果に反映してくるということがわかっている。

虫は畑のレタスなどの野菜にも入っていることがあるが、スーパーのレタスには一匹の虫もいない。
虫がついていると売れないから、虫がつかないようにしているのである。
ところが、無農薬で創っている野菜には必ずと言って良いほど虫が入っている。
さて、皆さんはどちらのレタスがお好みであろうか。

私は以前は虫が入っていると気持ち悪くて、すぐに殺生をしていた。
そしてそのことに対してなんの罪の意識もなかったのである。

ところが、数年前頃からレタスに入っている虫が愛(いと)おしくなってきたのである。
なぜ? その時は自分でもよくわからなかったが、そのように意識が変わってきたのである。

これは野菜だけではない。
家に入ってくる虫にも愛おしさを感じるようになってきたのである。

たとえば、ゴキブリ、クモ、ムカデなどを好きな人はほとんどいないであろう。
私は数年前から家に入ってきた彼らを捕まえては外に逃がしてあげるようになった。
「もう入ってきちゃダメだよ」と諭して外に逃すようになった。

それは彼らも私たち人間と同じ霊であり、この地上に生まれてきたのは、寿命をまっとうして生命の進化に寄与するために他ならない、ということを悟ったからである。

すると私の環境が変わってきた。
家に虫が出なくなったのである。

もちろんゼロではない。
しかし、ほとんどゼロに近いくらいに出なくなったのである。
これは体験しなければわからないが、本当の話である。

これは魂の属性である精神の問題であると私は分析している。
霊的視点で見ると、人間は一人一人が肉体的→精神的→霊的という変遷を経て進化していく。
人間の魂としての進化のことを霊性の向上ともいう。

いまは地球全体が肉体的→精神的という過程にいると思える。
その精神の中の意識の問題であると私は思っている。

明らかに他の生命に対する私の愛の大きさ、深さが変わったのである。
虫という生命を認め、許し、受け入れることができるようになったのである。

しかし、これはほんの入り口に過ぎない、と私は思っている。
人間に対しては、さらなる愛のキャパシティの大きさ、深さが要求される。

愛のキャパシティを大きく深くするのは時間がかかる。
しかし、そこに意識があるのとないのとでは、結果に大きな差が開く。

つまり何を意識して生きているかということを、私たちはもっと意識する必要がある、と私は思っている。
精神が発達してくれば、なにを意識しているかを意識することができるようになるのではないだろうか。

すべての生き物が人間と同じ霊であるということは、信じがたいことかもしれないし、認められない人もいるだろう。
しかし、進化のどの過程に位置しているかという違いだけであり、みな同じ霊なのである。

「霊とは生命のことであり、生命とは霊のことである」これはシルバーバーチの霊訓第1巻に何度も出てくるフレーズである。
なぜこの言葉がこんなにたくさん出てくるのであろうか。
それは「人間は霊である」という人間がもっとも知らなければならない真理を人間にわかってもらうためである。

すべての生命はつながっている。
物理的にではなく、霊的につながっているのである。

生命は一つなのである。

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